【転載】5年来の戦いに勝ったはなし

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この記事は、2016年10月18日に旧サイトで書いた記事を転載しました。


昨日の朝、仕事をしながら、ふと「あ、いま自分は勝利したのかもしれない」と思った。5年来の辛く長い戦い。一人で涙が出た。以下、湿っぽいけど僕にとって大切な人生のB面の話。

近頃は自分の仕事やキャリアについて話す機会が増えて、ストーリーと時間の都合上しかたなく虫のいいところだけをかいつまんで話すことになるので、少々後ろめたい。ここ1-2年で知り合った方にはあまり話す機会がないけど、僕は5年前に自分の仕事ぶりや無能感に思い切りよく挫折して体調を崩している。端的に言えば精神疾患で、ずいぶん長いこと休職して、けっきょく退職して無職になってプラプラして、人生を投げ捨てたような暗黒の数年間を過ごした。体も全く思うように動かず、長く医療のお世話になったし、おかげでキャリアとかライフプランとか家庭とか、全部めちゃくちゃ寸前だった。何もできない、みじめな数年間を、妻に迷惑をかけながら2人で耐え忍んだ。なお、この期間、勉強だけは続けていたことに今の自分は救われている。

今の職場でインターンを始めたのも、フルタイムで社会復帰をする前に、週2-3でリハビリをしたかったからだ。どうせなら意味のある経験がしたいという点では、「農業」や「経営」がキーワードになったけど、前提だったわけではない。その頃の僕を見ている人は、僕がどこに漂着するんだろうと、心配していたと思う。みんな優しいから、そう直截には言わないでいてくれたけど。ここなら無理なく自由に働ける、っていうことでそのまま就職したものの、生活の保障は全くなくて最初は正直苦しかったし、レールや前例のない仕事は不安だった。目の前の課題が低レベルすぎて、時間の浪費じゃないかとか、キャリアから遠ざかるんじゃないかとか、成り行きに任せすぎて失敗したかなとか、そんなことで人知れず眠れない夜も間々あった。とにかく、様々な可能性を吟味しながら主体的に意思決定してきたわけではなく、そのときどきに流れてきた貧相な木舟を乗り継いできただけだ。舟にすら乗れてなくて、流れに飲まれてたこともあったと思う。

誰もやろうと思わないような打ち捨てられた仕事を、2年間一生懸命続けた。梨園も阿部も一緒に走りながら、僕を受け入れ続け、大切にしてくれた。気がついたら健康になっていて、投薬や通院は終わった。そのうち、高度なことなんて何もしていないのに、誰もやっていないというだけで、仕事に価値を見出してもらえるようになった。最近は色んな人に共感してもらえるようになり、多少なりの励ましを交換できるケースが増えた。短い社会人生活の中で、自分の仕事に意味を見出したことは一度もなかった。それがいつの間にか、成り行き任せの自分の仕事が、意味のあるものになっていたのを感じて、これは「勝利」だと思った。ちょっと前までは、死んだような人生だったのだから。5年間の苦しい戦いだった。病気との戦いでもあったし、何者でもない自分との戦いでもあったと思う。特に妻には苦労させたので、それを思い出して涙が出た。

そのときどきで最善を尽くしてきたつもりだけど、それでもこの「勝利」は自分の力によるものではなくて、聖書に書いてある神様の力だと心から感じている。僕一人がもがいたくらいでは最初から歯が立たなかったから、追い風の強大さがよく分かる。神の試練はときに長く、困難や苦悩を伴うものの、脱出の道も備えてくださる。頭では知っていても、実際の渦中では、なかなかリアルに感じられない。クリスチャンは「成り行き」を「導き」と変換することがあるんだけど、そうやって安直に後づけで正当化すればいいというものでもない思う。ただ、目に見えない自分以上の存在がいて、僕の人生を大切に管理してくれているっていう主観的事実を、自分の弱さと5年間の葛藤の中に見出したのを今日ここに書き残しておきたい。僕らは2016年10月17日、攻撃に耐え試練に勝利した。正直、5年は長かったよ神様。。。人生の大半が変わっちゃったじゃん。。。でも、5年という重さの分だけ深く刻まれる証しがある。

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