【転載】僕が考える個人農家の活路

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この記事は、2016年11月7日に旧サイトで書いた記事を転載しました。


個人農家は生き残れるのか

これからの農業というと、IT化、機械化、大規模化、法人化、、、のように、合理化による生産性向上が話題の大半になる。個人農家も新しい技術で担い手不足を乗り越えたり、生産法人化してスケールを出すのが望ましいとも言われる。それはアメリカの農業に寄せていくイメージだと思う。個人っぽくないし、個人である必然性もない。そうなると、個人が小規模にやっている日本の農家は淘汰されてしまうのだろうか。一次産業人口が減少し続けているとおり、淘汰は既にずっと昔から起きている。それが市場主義経済の望んだ合理だから仕方がないし、誰のせいでもない。

僕は自分が合理主義者だと自覚しつつも、感情の部分では、日本の個人農家になんとか生き延びてほしいと思っている。農村の田園風景に、農家のおっちゃんやおばちゃんに居続けてほしい。農家が作ったおいしい農産物を食べ続けたい。日本の文化として次の世代に伝えたいと切実に思う。それも「保護」によって無理やり保存されるのではなく、「自立」によって生存し続けてほしいと思っている。

便利なサービスで生き残れるのか

最近は農家向けの便利な外部サービスがたくさんある。生産を支援するソフトウェアもハードウェアもはたくさんあるし、流通や販売を助けてくれるサービスもたくさんある。経営支援サービスも充実してきた。クラウドサービスがお手頃になったのを追い風に、農業ベンチャー企業が色々考えてくれている。みんな、日本の農業のため、農家のために、という大義と情熱のもとで作られたものだ。ちなみに、広い意味では行政の各種サポート、技術指導、助成金や融資まであらゆる支援サービスがある。

では、このようなサービスが充実するほど農家は成功するかというと、そうではないだろうというのが僕の持論になる。周辺のサービスが便利になればなるほど、考えることから開放される代償として、肝心の農家の課題解決能力が育たないのではないかと思うからだ。親がいつまでも手取り足取り教えていたり、代行し続けていれば、子どもが独力で何かを習得する妨げになるというのに似ている。農協にすべてを委ねていた時代から、委ね先が(分散しながら)変わっただけでは、本質は変わらない。

そもそも、サービスの本質的な意味を理解しようとしなければ、使いこなすこともできない。今どきどんな農家でもパソコン一台くらいはあるが、その機能を十分に引き出せている農家がほんの一握りなのと同じだと思う。

そして、便利なサービスも無償ではない。農協に納めていた上納金の行き先が変わるだけではないのか。中間マージンを厚く削り取られ、作っても作っても利益が残らないのが苦しい個人農家の現状だ。結局は自分で考えない分だけ、取り上げられてしまう。餅は餅屋で、生産以外はプロに任せて生産に専念するのもいいが、単価が極端に上がらない以上は規模に救いを求めることになって、別なリスクを背負うことにもつながる。自分たちの頭を使うことでマージンを取り返すことができれば、それは農家の素晴らしい独立革命になる。

生産にはとにかく全身全霊をつくす素晴らしい個人農家たちも、業務フローや経営判断、管理の部分に様々な個人由来の課題を抱えているということを阿部梨園の事例で学んだ。知識や能力、価値観から生活習慣まで、実は改善の余地が大きく、自身に向き合えば収益改善は十分に可能だという実感がある。ところが、便利な外部サービスが増えれば増えるほど、自分自身の課題から目をそらす口実になってしまう。タイヤだけ履き替えても、エンジンが古く汚れたままだったり、フレームやシャフトが歪んだままでは良いドライブにはならない。

自分と向き合う個人農家は生き残る

阿部梨園で400件以上の業務改善を行った結果、ビジネス面でも着実に成果が出ている。これは業務テクニックの話にとどまらず、意思決定の判断基準や業務フローの設計を深いレベルから問い直した成果である。個人農家にとっては新しいビジネスモデルに活路を見出すよりも、こちらのほうが少ないリソースで高い成果が見込めるのではないかと思う。

ただし、自己を問い直すということは、相応の精神的負担もある。一つひとつのプロセスを意味のレベルから見直して最適化する過程で、個人の習慣や価値観は否応なしに洗礼を受ける。この心理的障壁と向き合うほど覚悟のある人は、本当のプロフェッショナルで、次世代に残る権利がある。それならば外部サービスに躍らされることなく、意味を考えながら使いこなして成果を上げることも難しくないと思う。自分を分析し、再定義/再構成できる個人農家ならなんでもできるし、時代に適応して生き残れる。逆に、それができなければ、周りがどれだけ親身になっても一時的な延命にしかならない。 阿部梨園の代表阿部は、この自分と向き合うことにおいて誰よりも忍耐して、誰よりも努力してきたのを僕は目撃し続けている。今の阿部梨園の成果は、賞賛を受けるにふさわしい汗と涙の結晶だと思う。

阿部梨園ほど短期集中で大手術をしなくても、できることから少しずつ自分を見直せばいいでしょう。常に答えを自分の中に探す農家は強い。環境や条件のせいにしない。より便利な車椅子を探さない。あれ、農業や農家に限った話ではなくなってきたゾw

伴走者と共に自分と向き合う

経営的な生活習慣改善、内臓脂肪の解消について。一人で自制してダイエットできる人は少ない(そういう人はそもそも極端な肥満にならない)。ジムに通ってそこにトレーナーと二人三脚するほうが、無理のない近道だと思う。現状をさらけ出して、信頼関係を築くことができれば、健康的なダイエットもできる。多少の費用はかかるけど、投資の回収もそのぶん早い。

佐川のようなフルコミットの人材を抱えるのは実際難易度が高いので、まずは本音ベースで定期的に相談できる人がいればいいのかなと。コンサルでもプロボノでも、友人知人でも。僕自身、自分の事例では成果が出ているので、どうすれば同じようなことが再現できるのか考え始めている。

まとめ

農協に全てを預ければ生活が保証される良い時代は終わってしまった。親切な農協のせいで思考力を自らスポイルしてしまったのが、個人農家の現状、根本的な課題である。便利なサービスや農家を助けようとしてくれる人たちはたくさんいるが、依存しているかぎりはやはり農家自身の地力は育たない。自分を分析し、再構成する課題解決力を農家がつけることで、自立した事業体として適応しながら生存していくことができる。

まとめると、農家に最も必要なのは便利なツールやサービス、支援者や労働力ではない。課題解決し続けるための、常に自身の内面と向き合いながら再構成する胆力である。となるのかな。阿部梨園で2年間取り組んできた結論。この先も変わらないであろう核心的な結論。

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