【転載】自分の言葉で話すということ

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この記事は、2016年10月14日に旧サイトで書いた記事を転載しました。


理科系は全く好きではなかったが、環境問題に使命感があったので、半ば無理やり理系に進学した。宗教的なほど理系偏重だった高校の雰囲気に流されたのもあるが、その経緯についてここでは書かない。化学も物理も飲み込みは悪く、化学反応も物理現象もよく理解できないので、暗記できる範囲の先はいつも真っ暗闇だった。ただ、科学史としてとらえたときだけ面白く感じられた。高校の範囲の科学がおぼろげにわかるようになったのは国立大学の前期試験に落ちた後で、おかげで後期試験は頭スッキリ合格できた。でも理工系の学類に進学してすぐに、やっぱり自分には、この先理解を進めるのは無理だと思った。その後は大学院も、研究開発職で就職してからも、科学とは真剣に向き合わずにだましだましやっている。

以上より、僕の科学へのスタンスははじめからトレース(誰かの思考の追体験)であり、ミーハーな観客だ。自分の頭で考えるとか、新しいことを求めて研究するとかではなかった。僕は最初から研究者じゃない。大学院のバイオマスの研究も、仕事してからの材料化学や太陽電池の研究も、何かを表現するときには、誰かの言葉を借りてくるしかなかった。どこかの論文とか、誰かの言説とか。自分の頭で考えていないから、いつまでも自分の言葉にならない。科学現象が自分の頭の中で像を結ばず、シナプスは形成されない。何年も担当すれば専門家になって当然なのに、どこかの文献に書いてあることしか話せない。研究開発の仕事をするようになってから本当に危機感を覚えたけど、そこから化学に基礎から向き合うような時間もないまま(門外漢だった)、成果ばかり求められるうちに自分を責めてほんとにウツになった。反面、大人数のプロジェクトをさばくとかは、苦もなかったし、一定の成果を出せていたと思う。

もう研究はゴメンだと思って、理系を選んだ15の頃の自分に恨み節を言いながら、農業の世界に足を向けた。梨農家をどうやって立て直すなんて、どこにもノウハウがなかった。僕のような農家の右腕はあまり前例がない。たいていの右腕業の人は、多かれ少なかれ生産も携わる人だ。自分の頭で考えるのを避けるために調べる能力が発達した僕は、少し困った。まぁ課題は山ほどあるが、目に見えない科学現象に比べれば、難しくないし辛くもないと思った。とりあえず一個ずつ、目の前の石を拾うしかないか。。

どこにも答えがない状況で、人生ではじめて身の回りの問題を自分の頭で考えるようになった。もちろん、様々な本や人からは知恵を借りた。でも、借りてきた知識を梨屋に落とし込むのは、やはり自分なりのアレンジが必要だった。ずっと答えが出なくて、それでも諦めないでいると、何か月も先、1年以上先に、答えが降って来ることがある。アハ体験。時間をかけていくうちに、絡まった紐が少しずつ解けるようになった。解決策を誰も教えてくれなかったから、自分の言葉として、腹の底に一つずつ貯まるようになった。自分しか知らない、自分しか言えない言葉だから、周りの人に求められたときに、2年分の重みを込めて、自信をもって話せる。まとめると、今、人生ではじめて、自分の言葉を取り扱えるようになった。それが嬉しいっていう話。

あと、気がついたら、今やってることこそ研究的だと思った。フィールドは科学じゃないし全く学問的ではないけど、誰も知らないことにタックルして、小さい収穫を得ている実感がある。研究が嫌いで研究職を辞めたら、いつのまにか別な研究ができるようになっていたっていう。

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